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【性暴力裁判】被害者心情意見陳述の全文。性暴力とは何か?

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THYME運営者が、自身の事件に関して実際に法廷で読み上げた「意見陳述」全文です。
被害者参加制度を利用すると、被害者が心情について意見を述べることができます。
約15分の陳述となりました。
※個人情報に関わる部分などは一部調整をして、白塗りにしています。表示崩れではございません。
被害の具体的な内容も含まれるため、フラッシュバックのおそれがある方は閲覧をお控えください。

 

 

①裁判の争点に関して思うことと私のバックグラウンドについて

まず、この裁判で議論されたことの1つである私のPTSDの重さについてです。私自身としては、私がここまで回復したこと、また、私がPTSDを発症したうえでも中程度の症状で済んだことは、ひとえに私の周囲の環境や、私が被害前から持っていた専門知識・人脈などの文化資本、それによって私が獲得していたレジリエンス能力の結果であると考えています。つまり、被告人の行ったことが「半年で治療を終えられる程度の行為であった」ということでは決してなく、被害者がたまたま周囲の環境に恵まれた私という人間であったからこそ、この被害の結果に収まっているのだと考えています。

私自身、大学でジェンダー研究を熱心に学んできた人間です。ジェンダー研究をするなかで、性暴力や複合的な差別の構造についても知識を付けてきました。今回被告人側の証人として出廷された先生の著書も、学生時代に拝見しています。

大学では、性の問題についてタブー視せず、真面目に議論をするような環境に身を置いていました。正しい性的な知識は恥ずかしいことでも、面白おかしく思うようなことでもありません。防災のように、自分と周囲の人を守ることに繋がるし、正しい性教育を受ければ他者を傷つけたり、自分が性暴力の加害者になることも防いでくれます。性教育は、人権教育だと考えています。そしてこの価値観は、私の大切な友人やパートナーとも共有していました。だから私は被害に遭った時も、取るべき行動がすぐに分かりましたし、非常に早く適切な支援に繋がることができたのです。知識と環境が私を守ってくれたのです。

おかげで治療もスムーズにいったし、これだけ被害回復に必死になってきたのに、その私の努力と、私の良い環境条件にただ乗りするようなかたちで被告人の罪が軽くなるのなら、あまりに馬鹿げた話だと思います。

 

②性暴力とは何か、自分自身の考え

 

裁判官・裁判員の方に知ってほしい・考えてほしいことは、本当の意味での「性暴力とは何か」ということです。社会が持っている誤った認識も、自身の中にある偏見も自覚してほしいのです。

私はこの場では被害者として立っていますが、「被害者」ではなく、意思を持った一人の人間です。「かわいそうな人」ではなく、みなさんと同じように普通に生きてきた、そしてこれからもみなさんと同じように生きていかなければならない一人の人間です。決して稀有な存在ではありません。

 

「性暴力は何に対する罪なのか」、考えてみてください。私は、性暴力とはひとりの人間から尊厳を奪う、意思を持った一人の人間を、ただの女あるいは男として、暴力の対象として、支配欲のはけ口として記号に押し込め、人格を深く傷つける、そういった罪だと考えています。

性暴力は「兵器」です。性暴力が、戦争で戦略的に使われるものだとご存じでしょうか?なぜ戦争で使われるのか、それは「性暴力が、敵の民族をただ虐殺する以上に、民族としての尊厳の部分から深く傷つけ、すべてを奪い支配することのできる手段だからです。」性暴力は、ある人間の人格も変えます。ある人間を性的に虐待し、意思を奪い支配すれば、その人間を悪魔にも変えられるのです。「魂の殺人」という言葉で、分かった気にならないでほしい。その言葉を免罪符のように使わないでほしい、そう思います。

 

それほどの悲惨な暴力を、「よくあること」のように、主に社会的弱者が受けるのです。私が受けた性暴力は、この事件の被害だけではありません。子どもの頃から日常のなかに、それは存在しています。学生時代、成果を出して嬉しいことがあった日、帰り道知らない人に後を付けられ誘拐されそうになり、自信と前向きな気持ちを折られました。仕事が大変でもなんとか頑張ろうと思っていた日、知らない人に声をかけられ付きまとわれ、やっぱり上手くいかないやと意思を削がれました。この事件の被害に遭った後、やっと日常生活が送れるようになって復職面談に出かけた日、痴漢の被害に遭いました。死にたくなりました。「やってらんねえ」と思いました。みんなみんな、捕まっていないです。この社会では「しょうがないこと」「よくあること」という扱いをされるんです。

こうして心を折られる経験が、いくらでも降りかかります。女性は人生のあらゆる段階で意欲を削がれ、ふるいにかけられます。こうした自分の女性という属性にかかる「不」も、今まである程度乗り越えてきて、また、長期間の努力が必要な高い目標も、仕事や学業を通して達成してきました。それだけの精神力と周囲の協力を上手く仰ぐ社会的スキルは持っていると思います。でもそのような私に、今回の事件はとどめを刺しました。

なぜ、女性の見た目でいるだけで、このような暴力や見えにくくされている差別に晒され続け、社会はそれを見逃し加害者を許し続けるのでしょうか?みんな酷いと思っているのに、そう言葉にはするのに被害者を救えないのは、社会構造の問題です。だから、社会構造を変える一歩として、メッセージとして、ここで正当な判決を出してください。過去の判例に従うのみで事務的な判断をするのならば、これからも加害者を許し続ける、性暴力をしょうがないこととして見逃し続ける社会を選択するということだと考えます。裁判官のみなさまは、法律については専門家です。でも、ジェンダーや性暴力の問題については、まだまだ実情を知らない部分もあるのだと、心に留めていただきたく思います。

 

③被害時と被害直後の心情について

 

被害に遭っていたときと被害後の私の恐怖について、書面では1mmも伝わらないと思うので、自らの言葉でお話したいと思います。

とにかくずっと被告人について思っているのは、認知が歪んでいるということです。被害に遭っているとき、「顔見るな」と何度も言われて、”顔をはっきり見たら殺される”そう思い目をずっと逸らしていました。被告人がどんな行動をするか、いつ気がおかしくなるか、この時は、”とにかく殺されたくない”その思いしかありませんでした。身体の感覚などありません。痛みも何もありません。人間の身体は、しっかり防御機能が働いてくれるようで、あまりの心的苦痛に時間の感覚もありませんでした。これが精神科の先生のいう解離なのだと思います。

暴行を加えられている最中、怖くて仕方なかったので、「ちゃんと帰ってくれますか」とか「こわいです」とか私はとにかく何かを繰り返していました。それに対し、被告人は「何がこわいの?俺別に何も怖いことしてなくない?だって、暴力ふるったりとか、怒鳴ったりとかしてないでしょ?」と発言しました。“ああ、認知が歪んでいる”そう確信しました。

暴行を加える中で、被告人は「声を出せ」とか「「気持ちいい」と言え。」などとも私に強制しました。これはさらに、私の精神に苦痛を与えるものであったと、わざわざ述べなくても簡単に伝わると思います。

 

被害後もとにかく怖くて、一挙手一投足が私には命がけの選択でした。電話をかけるのか、誰に助けを求めるか、どのタイミングで家を出るのか、警察に行くのか、被害届を出すのか、とにかく負担の高い選択の連続でした。そのたびに報復をされたらどうしようという恐怖が襲いました。自宅で知らない男から被害を受けて、会社を知っているとも言われて、部屋だってどこまで漁られているか分からない状況で、自宅に戻ることなど、普通に会社に行くことなどできないです。

あの日はまだ、コロナウイルスの存在さえなかった世界でした。誰一人マスクなどしていない暑い日に、ボサボサの髪で化粧もせず、マスクで顔を隠し、周囲を異常なほどに警戒しながら、決死の想いで逃げてきた私の姿は異様なものだったと思います。逃げる途中に見た眼鏡をかけている男性が本当に犯人に見えて、わざわざ途中でルートを変えたり、遠回りをしてまで逃げてきたのです。周囲の人が私の異様な姿に、避けているような感覚もありました。道ですれ違った男性二人組が、私の姿を見て「不審者だ」と笑うのも聞こえました。現場検証も加害者に見られているのではと怖くて、あの日以来まともに自宅には戻らずに引越をしました。

 

被告人が逮捕された後も、その主張に苦しめられ、こわさは消えませんでした。逮捕された当時、被告人は警察での取り調べで事実を認めませんでした。逃げ切るために、証拠がないと踏んでそのような態度に出たのだと思います。その後も何度も何度も主張を変えました。

被告人がせめて逮捕後であっても、きちんと事実を語り認めていれば、被害後もこんなに時間を奪われなかった。「減刑のために時間稼ぎをして、被害回復を妨げられた」私にとってはそう感じてしまいます

 

④被害後の苦しみや気持ちについて

 

被害後しばらくは、恐怖で日常生活も送れませんでした。PTSDとしては寛解しましたが、現在でも帰宅したときには、避難経路を確保しながら、クローゼットの中やお風呂場の中に人が隠れていないか慎重に確認して、やっと上着を脱ぐ。そういった行動や癖が抜けません。

PTSDの治療が終わった後でも、1年近くは普通の時間にベッドで眠るのがこわい日があり、そういうときは明け方まで居間で過ごし、被害時刻を過ぎた5時前になってからベッドで寝るというような生活をしていました。家族の誰かしらが起きていないといけない、家族が寝ているときは私が起きて家の中を見張っていなければいけない、そんな感覚だったのです。部屋を移動するときも、家の中のドアを開けるという、たったそれだけのことがものすごく怖いのです。ドアの向こうに人がいるような感覚が、あのときの恐怖と身体の強張りを同じように感じて、心臓がバクバクいって、その場で動けなくなるのです。自分の家の中でドアを開けるとき、常にそのような状態でした。

 

事件によって、その後のキャリアも大きく変えられてしまったと思います。事件当時私は新入社員でした。希望していた部署で、配属が発表されたときは本当に嬉しかったことを覚えています。私の身に余るような部署に、期待をかけて配属してくれた会社や、当時一緒に働いていた方々のことを思いだすと、また、意欲を持って働いていた、あの時の私を思いだすと、良くしていただいた人たちにちゃんと話もできないまま、事件前日に最後に会ったまま、事件後一日も会社で働くことなく退職する結果になったことに、とても残念で心苦しさを感じます。

現在アルバイトで自分の経験を活かせる仕事についていても、私自身はまるで戦争から帰ってきたような感覚で、仕事に対して以前感じていた楽しさや価値観が、自分のなかから消えていることにも自覚させられました。あるとき仕事の帰り道、キャリアを断たれた以上に、自分の感覚や仕事に対しての感じ方を変えられてしまっていたことにハっと気づいたとき、酷く悲しくなり、悔しくて涙しました。キャリアを断たれたことだけでも酷いですが、キャリアはやり直しが効きます。別の会社でもやっていけます。でも、そもそもの楽しさを感じる感覚を、私は奪われていたのです。仕事によって得られる達成感が、今まで感じられていた楽しさが、消え去っていたこのつらさや空虚感は、想像に難くないと思います。

これだけ頑張っていた人間が、仕事にも何の問題もなかった人間が、事件によって「機能しなくなった」のです。1年以上も会社を休み、そのまま1日も出社することなく退職をしました。PTSDは中等度といっても、そういう苦しみが伴う病気です。これが傷害でなかったら何なのでしょうか。

このようなつらさの中でも、被害後、私の回復の力になった印象的なことは、父が何気なくかけてくれた言葉です。被害直後、アフターピルをもらいにいった病院の待合室で、「これからどうしていくべきか」となったとき、父が、私の考えや知識を頼ってくれたのです。「大学でそういう勉強してきたんだろう。きっと、こういうときどうすればいいか、俺たちよりもお前の方がずっと分かっているんだろうから、どうするのかお前の考えを尊重するよ。俺たちにできるのは、お前がこうしたいって言った時に協力することだけだから。」と。父本人は何気なく言ったのだろうし、覚えているかも分かりませんが、その言葉が「被害者」となった私を、「人間として扱われなかった私」を、「非力で無力な存在にせず、救ってくれた」と、「自分は力を持っていることに気づかせてくれた」と、今となって思います。

多くの人はどこかで深く傷つけられ、闘う力を奪われます。残酷なことに、その力を奪うのが家族である場合も多いです。また、正しい情報を知らなければ、闘うスタートラインにさえ立つこともできず、泣き寝入りせざるを得ません。被害を受けたのが私じゃなかったら、どうなっていたでしょうか?被告人が今「反省している」というのは、「これ以上言い訳をできなくなった」結果、行きついた判断です。私がワンストップセンターに連絡せずに証拠保全をできなかったら、地元の病院で断られたときに諦めてしまったら、被告人は事実を認めなかったでしょうし、この公判の争点も事実関係を争うものだったでしょう。そもそも警察に連絡できなかったら、これだけの罪を犯した人間が、今も平然と社会生活を行い、新たな被害を生み続けていたかもしれません。

私がここに立っているのは、「当たり前のこと」ではありません。時間の制約、法の壁、大きな恐怖、あらゆるもの、あらゆる段階で「私が負けなかった」その結果です。「私が強い人間だったから」ここに立っています。

(※「負けなかった」「強い人間だったから」というのは、裁判官に自身がここに立っていることを当たり前だと思ってほしくないゆえに記載しました。裁判の場に立たないことが、弱いわけでも負けることでも決してありません。)

⑤被告人側や現状に対して思うこと、示談しない理由

私は、加害者だけでなく、この世の中の仕組み自体が歪んだ認知の元に作られていることに、絶望しています。現在の日本の司法や仕組みの中では、どうにもできないことがあまりに多すぎるからです。これは男性中心主義の社会構造の問題でもあります。この社会へのどうにもすることのできない絶望と怒りは、話そうと思えば、何十時間でも話せます。それくらいに私の絶望は深いのです。日常的に性暴力が存在していても、二次被害をする人間がいても何もできない、被害自体、差別構造が存在していること自体否定される、これが私に見えている世界なのです。

2,000万円で私の中の何かが変わるなど、微塵も思わないでいただきたい。額なんて関係ない。何億、何百兆円積まれたとしても、私の望みは全く別のところにあります。示談金額が増やされるたびに、ああ何にも分かってないんだなって思いました。逆に、「そんなに減刑したいんだ」「そんなに早く出たいんだ」とこわくなりました。被害直後からの私の想いは、ずっと変わりません。加害者に単に刑罰だけを与えるのでなく、加害者が認知の歪みを自覚し、根本からそれを治療し、自発的に正しい行いをできる状態にならない限り、ここから出てきてはいけないと思います。半強制的にでも、これから適切な治療につながることのできる加害者は、むしろ幸運であるとも私は考えます。私が求めるのは、被害者がまともに生活していける社会と、それを作る法制度の改革です。今すぐにでも、この日本の被害者保護制度、被害者支援制度を、加害者を弁護する立場の人間が主体的になって変えていってほしいくらいです。それができないのに、それをしようとしないのに、むしろ反対をしている立場なのに、減刑を論じることは無責任であると思います。

減刑することが被告人のためになるとも思えません。本当に被告人とその周囲の方、また再犯をしないように社会のためを思うなら、今の日本の制度をもっと変える以外に方法はないと思います。それがすぐにできないのだから、最低限制度が変わるまで、加害者の認知が根本的に変わるまで、「長い刑期」が必要です。

被告人は「更生のためにどうしたらよいのか分からない」「罪悪感」という言葉を使いましたが、私も分かりません。被害者が救われることなどありません。「反省」も「償い」も、被害者のためではなく、加害者のために存在するものです。償うことは、加害者が罪悪感から解放されるための本当に楽な選択です。逃げです。だから絶対に、許されることや償いをモチベーションにするような楽な選択はしないでほしい。根本的な認知が変わって、人を本当の意味で大事にできるようになったら、被害者の私だけでなく、いろんな人を人間視してこなかったことに気づき、自分のしたことと向き合うことに大きな苦しみが伴うと思います。それが何年後になるかは分かりませんが、その苦しみがないのなら、まだ逃げていると、自分の罪と向き合っていない証左だと思ってほしい。

私は本当に優しいと思います。許しなど存在しないことを教えてあげているからです。

 

最後に、あの日からたびたび思いだしてつらくなること。

ときどき、あの日一緒に出かけて、電車で「またね」といったときのパートナーのことを思いだします。二人で「これから」の話をして、また週明け仕事を頑張ろうと思えて、お互い帰りました。あのときからもし会えなくなっていたらと思うと、考えるだけで今も涙が出ます。

私がなんとか家に帰った後、私がこの事件の被害に遭ったと知った時、母が今まで聞いたこともないような声を出して泣き崩れた姿も、忘れることができません。それでもただ、命は奪われずに帰ってきて、生きていて、あのときちゃんと母のそばにいることはできてよかったと思っています。あんな泣き方をする母のそばにいれない結果になっていたら…。被害に遭っていた時、「殺されるかもしれない」「朝、私はまた日の光をこの目で見ることができるだろうか」と考え、亡くなった祖父に対して心で助けを求め、そうするしかできなかったあの時の感情を思いだすと、言葉に尽くしがたい感情が込み上げます。

こうした想いを抱く普通の人間が、普通に安全に、これからも生きていける世の中を作る判断をしてください。みなさんがする判断の影響を受けるのは、生身の人間です。私は、みなさんの判断を見ています。

以上

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知識はやさしさ.THYME

 

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性暴力被害に遭ってしまったとき、そしてその後、被害者が利用できる支援や被害回復について、サバイバーが発信しています。