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性暴力裁判のその後。審理期間中の証人威迫・強要未遂罪裁判での意見陳述 2023年4月

証人威迫罪裁判での被害者意見陳述

もしも性暴力被害に遭ったら

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THYME運営が、自身の性暴力被害の裁判期間中に起きた加害者からの証人威迫・強要未遂の再被害の裁判で述べた意見陳述です。

被害者参加制度の対象事件でなくても、意見陳述のみ可能な公判もあります。
被害者として被告人や裁判官に向けて意見を述べることができます。

この意見は私が被害者としての立場で、一個人としての考えや感情をそのまま述べたものです。
そのため、他の方のケースでもこうあるべきだという主張ではありません。
性暴力の刑事裁判や刑事手続きを4年以上かけて行った1個人として、意見を残しておきたく掲載します。

※強制性交等致傷罪の1審についての記事はこちらです
※強制性交等致傷罪の控訴審での意見陳述内容はこちらです

“性暴力”裁判 被害女性が語った15分の言葉

控訴審における被害者としての意見陳述全文 2022年11月性暴力裁判

 

経緯としては、2022年5月(相手方が1審後控訴をし、控訴審の準備期間中)に、拘置所で拘留中の加害者本人から示談を要望する手紙が3回に渡り送られてきたものとなります。
手紙の内容は脅迫であり、刑事手続きを通して得た、予測したと思われる被害者の個人情報を羅列したうえで害悪を告知する内容でした。
拘置所は検閲で問題の内容を見落とし脅迫の手紙が届くことを看過したと述べています。
拘置所に拘留されながら、新たな犯罪を起こすことを許してしまったことになります。

その後加害者は拘置所にいる状態で再逮捕され、証人威迫罪・強要未遂罪で裁判を行い懲役2年半の判決となりました。

証人威迫・強要未遂罪裁判での意見陳述

この意見を書くにあたって、私は今までのように言いたいことが全く言葉になりませんでした。今までは伝えたいことも、それをどう表現しようかも自分は考えることができたのですが、今回は全然違いました。

強制性交の加害をした被告人は、今回さらに、被告人に忖度しなければいけないような状況に被害者を追い込む加害を重ねたからです。正直、陳述をすることもかなり迷うほどでした。自分の言葉が、全く正しく届かない・歪められる経験を、嫌というほど今回の件でさせられたからです。悩み抜いて、今日の言葉があります。

最初に届いた手紙を見たのは仕事の休憩中でした。これまで手紙なんてなかったから、明らかに何か今までと違うと思い読みました。結果、その日は仕事を早退することになりました。

1枚目の手紙には、反社会的勢力の名前と私の個人情報とされるもの、「遺恨」「怨恨」「火種が残る」などと書かれていました。反社会的勢力から示談金のカンパを受けているなどとも書かれていました。この文章を被害者に書くことが、どれだけとんでもないことか。

私はこれまで示談において、金額のことに全く関心を持ったことがありません。だから「額なんて関係ない」と言ってきました。私にとっての示談の条件は、被告人の更生について具体的な内容が示されるかどうかということだけでした。正直、これらのことがきちんと示されてきたならば、少ない額でも、0円でも示談を検討したと思います。でも、反社が関わっているなどと言われて、「反社からお金が出ているなら、たとえ私が示談に進みたくても絶対にできないじゃないか」と思いました。

手紙には「この内容は弁護士さんにも共有してあります」と書かれていました。弁護士がこんな違法な手紙を送ってくるだろうか、拘置所の管理は一体どうなっているのか、信じられない状況に、性暴力の被害に遭ってから初めて怒りが湧きました。それも悲しいことに、被告人に対してではなかったのです。

一審のときまでは、怒りなど湧いたこともありませんでした。怒りが湧かないということの意味も、深刻さも、到底理解はされないのかもしれません。それだけ被害に遭ってから今まで、被告人に感情を向けることができなかったのです。今もできません。

昨年の一審の後、私は燃え尽きのようになっていて、仕事を辞めることにしていました。
その頃に、さらに悪質な内容の2通目の手紙が届きました。
あの状況で示談をすることは誰にもできませんでした。相手の弁護士さんも、示談を進めたら犯罪に加担することになってしまう、そんなおかしな状況だったのです。正直、関係者みんな困っていたし、「たとえ被告人を助けたくても、誰も助けられない状態」でした。本人がそうしてしまいました。

「ああ、被告人はなんてことをしてしまったんだろう」と思いました。被告人の周囲に、本当に被告人のためになる方向に状況を動かしたり、被告人にあたたかい指摘をしてくれる人がいないのかと、やりきれない気持ちになりました。検討能力がきっと落ちてしまっているだろうから、拘留中の今でもきちんとした専門家と繋がっていてほしいし、その方がこれ以上罪を犯さないし、本人の思考が良い方向に変われば正しい意味で刑も軽くなるので、本人のためになると意見を言いました。
この期に及んでも私は、被告人がこれ以上自分自身で状況を悪化させないように、被告人のためになることをしてほしいと言ったのです。当然被告人本人には伝わっていなかったでしょうし、専門家に繋げる対応を取ることも難しいと言われてしまいました。

2通目が届いたその日は「今までの自分の加害者を守って尊重してきた姿勢はなんだったのか」と、徒労感で、初めて夜通し泣きました。どれだけ馬鹿みたいに加害者の未来のことや更生を願ってきたのだろう。被害者の立場でここまで考える気持ちが、どれだけのものなのか、どれだけの時間、本来加害者本人が考えるべきことを、被害者である私が考えて背負ってきたのか。それが加害者本人には届いていなかったどころか、私が「恨んでいる」「怒っている」などと、被害者感情をあまりに的外れに決めつけられる絶望が、どれだけのものだったか。

私は被害に遭ってから、こんなに泣いたのは初めてでした。
PTSDに罹患した被害者は、泣いて暮らしているように大きな誤解をしている人が多いかもしれません。「泣く」などということは正直あまりないのです。静かに心を蝕んでいくような、感情というものを超えた得体の知れない黒いものに、自分自身が飲み込まれていくような、そんな感覚が続いて気付いたら数時間も経っている。日常生活の時間も正しく送れない。日常と切り離されて、困っている自覚も持てない。強制性交の被害を受けた後はこのような状態でした。

私個人にとっての片手に入るくらい大きいストレスは、自分の意思や感情を歪められることです。考えてもいない、言ってもいないことを勝手に決めつけられることです。
元の強制性交等の事件に対してではなくて、その後の被害者感情を決めつけてきた、逮捕後も向き合う姿勢のないことに対して、私は「向き合ってください」と言い続けています。
被告人は、私が「向き合ってください」と言ったことさえ許しませんでした。判決の意味も、正しく捉えられているとは言えないと考えます。

判決での量刑は、私が被った結果ではなくて、逮捕後にも、今も、被告人が続けてきたその態度に対して判断されたものです。被告人本人が、自分のことを正しく思って指摘してくれる人を突っぱねて遠ざけてしまっただけなのか、本当に周囲の力不足なのかは私には分かりませんが、判決について正しく被告人に理解させること、そのうえで正しく更生に導くことは、司法の仕事だと思います。

でもそれが為されていなかった結果起きたのが、今回の脅迫の手紙です。
私は、被害後からこれまでずっと、加害者の情報を漏らさなかった。私が一番被告人の情報を守ってきた。被告人の個人情報にまではあたらないことでさえ、どれだけの思いで守ってきたか。
守ってきたので、被告人の情報は拡散されていないし、社会復帰もできます。こんなことをできる被害者がいますか。加害者を、被害者の立場でどれだけの覚悟と思いで守ってきたか。
それに対する仕打ちが、被害者である私の個人情報だけでなく、私の家族とされる人や交際相手とされる人や友人とされる人の個人情報まで集めようとして詮索して、反社会的勢力に回しただの、どうなるか分からないだの。

嘘でも、適当なことでも、脅迫に当たるか当たらないかなんて、正直関係ないです。こんなことを書いてこようとすること自体が、そもそもおかしいことなんだって、どうして認識していないんですか。強制性交等の事件も、PTSDが致傷になるかならないかなんて、全く本質ではないです。
結果ではなくて、被告人が起こした「事実」をどう捉えるかが本質なんです。今回の裁判でも、どれだけ被害者が蚊帳の外に置かれて、本質的でない話ばかりされているか。

本当におかしなことに、こういった気持ちを私が言うことさえ被告人は許さないし、「自分の周囲の人もそう思っている」と言って、正当化しようとしてきました。なんでこれが「挑発的」になるんですか。なんで、被害者の立場で手紙が届くまで一度も怒りもしなかった私が、勝手に怒っているなどと言われて、仮に怒っていたとしても、なんで被害者が怒ることさえ、感情を示すことさえ許せないんですか。こんな脅迫までするほどになってしまうんですか。
お願いだから、自分自身の感情を正しく整理できるための、状況や他者の言葉を正しく歪めずに捉えることができるための時間と機会を、作り続けてください。

こんな手紙が来てどうやって生活していると思いますか。これからどうやって生活していくと思いますか。すごく不謹慎なことを正直に言うと、手紙が来て、「私も刑務所に入った方が身が安全なんじゃないか」って、そう思ったんです。過激な反戦運動でも反体制運動でもしようかって。
こんな馬鹿なことを、被害者に思わせるような状況をどう思いますか。懲役10年の判決は、私の余命だとも思ってしまうんです。被害者が裁判の後にこんなことを考えなければいけない制度って、なんなんですか。

本来、絶対に起こしてはいけないことを、起こしたんです。
なんで、加害者が拘置所にいるのに、脅迫文が届くんですか。
なんで拘留中の人間が、その状態で犯罪を犯せる環境がある国なんですか。
この国の加害者処遇は機能していますか。
拘置所も「看過した、見落とした」ってなんですか。

核爆弾のスイッチが、電源がついて押せる状態にあったようなものです。そういう状態を、関係機関も総出で作ったんです。この国の被害者保護も、加害者更生も機能してないって思ってしまいました。手紙に書いてある情報が適当なことでも、嘘でも、正しくない情報でも、「書く」「送る」ということが、どれだけおかしなことを起こしているのか、ここで審議してきた人たちは受け止めているんですか。
そして、この状況に当時関わっていた人たちが、ほとんど誰もこの場にいないのも、私の言葉をついに聞くこともないのも、一体なんのバグでしょうか。

10年後、弁護士の方も検察の方も、裁判官の方も、自分が担当した人がその後どうしていくのか分からないです。責任だって取ることはできないし、その必要もないとされるでしょう。それであれば、せめて今だけでも被告人を更生に向かわせるために最大限のことをしてほしいです。
判決に対しての正しい理解(結果ではなく自分の向き合わない行動、今のような態度に対しても出されている判決なのだという認識)をさせるのも、司法の仕事ではないでしょうか。どう考えても正しく向き合う方が被告人の刑だって軽くなるし、示談だってできます。本来被害者が、答えを教えようとするものではないです。こんなに被害者が、更正を促している状況は異常だと認識してください。

被告人が管理下にありながら再犯をし、取り返しのつかない再被害が起きたんです。「危害はなかった」じゃないんです。もう起きているんです。
司法の場では、冤罪が起きたら大変な不祥事です。それこそ1件も起こしてはいけないと、誰もがつよく声に出して主張できるし、責任だって強く自分事として痛感するでしょう。同じ熱量と危機感で、「再被害は絶対起きてはいけない、再被害を起こすことはものすごい不祥事であって、責任が大きく問われることだ」と言うことができますか。

私は、こんな状況でもほとんど何も知ることができないんです。一番自分に関わることなのに。こんなんで、どうして被害者が司法の場で力を持っていると勘違いできるんですか。

私も判断される側ですし、被告人を裁くのは国家です。被害者の立場で蚊帳の外に置かれている私と闘ったところで、被告人の不利にしかなりません。被告人の防御権は、裁判にかけられる個人を国家権力から守るための権利です。被害者と闘うために行使するものではありません。
でも今回、それが誤って行使されてしまったように思います。それによって、最低限安全に暮らす私の生存権は一生損なわれたんです。

私は、被告人と闘ってきたつもりは今まで一度もありません。一貫して、何に対して思いを述べてきたのかは、被告人個人ではなく「性暴力とそれを温存する構造」に対してだと、最初からそうだと伝わるのではないでしょうか。
どうして、被告人個人に対して怒っているとか、恨んでいるとか、そんな全く違う話になるのでしょうか。私が、今の状況は被告人のためにならないと、今までカウンセリングや専門家の方に繋がってくださいと言い続けてきたことが、これでも正しく伝わりませんか。

被告人に対しては、控訴審で述べた気持ちが事実であり、すべてです。だから、今回の公判の中でまだ語られていたと伺った、そして手紙の中にも書かれてあった「私が被告人のことを恨んでいる」という認識も、「個人情報を拡散した」という認識も、事実は逆であり、控訴審で伝えたことが、まだ違った方向に考えられていることに、これ以上何の言葉を尽くせばいいのか全く分からず、何も言えることがありません。

PTSDのことも、たとえ致傷と認められなかったとして、そこを言い続けることで刑が軽くなることはないと思います。刑を軽くする唯一の方法は、私がずっと言い続けてきたように、「被告人が専門家の方と繋がり続けて、カウンセリングなどを受け続けて、変わること」その1つだけです。
だから、控訴審でお伝えしたのと同じことを、ここでも再度お伝えします。お願いなので、被告人自身のために、カウンセリングを受け続けてほしいです。出所後まで確実に繋がり続けることを、言葉だけでなく契約として作ってください。
この気持ちは被害直後から変わっていません。

被告人が事件後、勧められて心療内科に行ったように、本当にケアが必要だと思います。私は一審までどうすればいいか分からないと言ってきました。被告人に必要だと考えることが、今のこの国の司法の仕組みの中には存在しないからです。ずっとどうすればいいか分からずに、やりきれない気持ちでした。

一審のときに私が「あなたは幸せな人です」と言ったのは、私の精いっぱいの被告人のこれからへの希望でした。死にたいなんて言わないでほしいと思いました。あなたにも支えてくれる人がいるはずだから、それを忘れないでほしいという意味でした。もしかしたら被害者としての反応で被告人を過度に理想化しているのかもしれませんが、ただただ、毎日悲しみと、どうしようもないやりきれなさと、加害者であっても、一人の人間の人生に深く関わってしまった責任とこわさ、そういうものに押しつぶされそうになる。そういう気持ちでした。

刑罰とは何なのか、たくさん考えたけど全然分かりませんでした。被害者なのに、考えすぎていろんなものを背負ってしまったように思います。単に被害者は怒っていると思うのは誤りです。被害者の処罰感情を怒りに見出す判断をするのも誤りです。今ある制度のなかでも最も適切な方法を使って、更生してほしいです。

今の刑の仕組みは私にとっても疑問です。受刑中ももっと適切に更生に向けてのケアができればと思いますが、それは私にできることでもありません。だからせめて、弁護士の方や加害者臨床の専門家の先生、被告人の周囲の人が、本人に寄り添ってくれたらと思います。私の精いっぱいの願いです。
本人の居場所をちゃんと作っていてほしいし、つながりを持っていてほしいです。少ない人であってもちゃんと支えてもらって、時間をかけてでも、正しいかたちで自分の傷を直して、周囲への信頼感を取り戻してほしいです。私の立場でお願いできるのはそれに尽きると思います。

裁判官の方には、被告人が被告人の真の更生のために寄り添ってくれる人と繋がれるような処遇を、どうか考えてほしいです。保護司の方なのでしょうか、刑務官の方なのでしょうか、分からないけれど、被告人を更生に導いてくれる「変わりたい」という被告人の意思に寄り添える「専門家」の方との繋がりをどうか作れるようにしてください。そのような環境を被告人のために準備してください。心からお願いいたします。

ここまでのこれだけの思考が、私の過程が、厳罰を望むとか恨みだの加害者を苦しめたいだの、そんな馬鹿みたいな単純な感情と、どれだけかけ離れた真逆の「真に人間を、加害者を尊重する態度」か、歪められずに伝わることを願います。自身の現状認識がどれだけ誤っていて、とんでもないことをしたのか、いま一度考えてほしいです。チャンスを与えられていることも、尊重されていることも、今は難しくても分かってもらえたらと、そう思うことしかできません。

答えは言っているのだから、刑を軽くしたいという動機でなければ今は動けないのならば、最初はそこからの動機でももういいから、とにかく変わってほしいです。

間違ったことを指摘してくれて、一緒に考えてくれる人こそ本当の味方です。自分に都合のよい間違ったことに同調する人は、味方のように思えるかもしれませんが、本当の味方ではありません。本当に自分のことを大切に思って、繋がれる人をそばに置いてください。

裁判官の方、被告人がそういったよい環境にいられるよう、どうかお願いします。
そして、これしかもう言うことができない私の無念さを、正しく知ってください。

以上

 

2023年4月の刑事裁判にて

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証人威迫罪裁判での被害者意見陳述

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この記事を書いた人

性暴力被害に遭ってしまったとき、そしてその後、被害者が利用できる支援や被害回復について、サバイバーが発信しています。